スイス国歌 時代遅れでも根強い人気
スイス国歌「スイスの賛歌」は特別感動的なわけでもないし、暗唱できる人はほとんどいないが、これまでずっと変更されずに生き延びてきた。
合唱しているときに誰かが歌詞を間違う、そんな経験は誰もがしたことがあるだろう。スイスで国歌を歌っているときは、それが日常茶飯事だ。それでも、間違ったとはみなされない。
そもそも、国歌を歌おうとする人も少ない。たとえば男子サッカー代表チームでは、試合前の国歌斉唱で口を閉ざしたままの選手が目立つ(最近の欧州選手権に出場した女子代表チームのほうが歌う選手が多かった)。
2018年のワールドカップ(W杯)で金髪のハイライトが印象的だった元スイス代表のヴァロン・ベーラミ氏は6月、イタリア語圏のスイス公共放送(RSI)に対し、歌わなかった理由を3つ挙げた。複数の言語で歌うと対戦相手が混乱すること、自分は歌が下手なこと、そして歌詞を覚えていないこと、の3つだ。
ベーラミ氏に賛同する人は多い。冒頭の一節でさえ、覚えている人は少ない。モーリッツ・ロイエンベルガー元スイス大統領でさえ、「長い歌詞を覚えていなかったので」口を動かして歌うふりをしていたと告白している。
それを聞いたら、国歌の歌詞を書いたレオンハルト・ヴィドマーも曲を作ったアルベリヒ・ツヴィシヒも喜ばなかっただろう。
特別な友情から生まれた国歌
ヴィドマーとツヴィシヒは真逆の世界に生きていた。ヴィドマーは急進的な自由主義者でプロテスタント、ツヴィシヒはシトー会の修道士だった。それにもかかわらず、友情が芽生えた。詩人でもあったヴィドマーは楽譜店を経営していて、その店にツヴィシヒが足繁く通っていたからだ。そして1841年、ヴィドマーがツヴィシヒに、自分が書いた詩に曲をつけるよう頼んだ。
ツヴィシヒは数年前に作曲した典礼式用の聖歌を転用した。その結果として「スイスの賛歌」が生まれた。神と山々と朝の光を、精神的かつ愛国的に融和させた賛歌だ。この歌は好評を博し、人々のあいだで自然と広まって、やがて国家行事でも歌われるようになった。
しかし、国歌に選ばれるまでには何十年もかかった。
時間がかかった理由のひとつは、ラジオやテレビが普及するまで、国歌は国家的な式典でしか歌われなかったためだ(これはスイスに限った話ではない)。国歌は多くの人に届くものではなかったため、当局にとって正式な国歌の決定を急ぐ理由がなかった。スイス政府は何度も、そうした決断は政府の管轄外だと強調した。
ふたつ目の理由として、「スイスの賛歌」にはライバルとなる歌が存在していた。詩人で哲学教授だったヨハン・ルドルフ・ヴィスが書いた「Rufst du, mein Vaterland? (仮訳:呼べ、我が父なる土地を)」だ(ヴィスは父ヨハン・ダーヴィト・ヴィスが書き、1812年に出版された小説「スイスのロビンソン」の編集者でもある)。
ふたつの国歌候補
このふたつの歌詞は大きく異なっていた。ヴィドマーとツヴィシヒの賛歌の場合、最初の一節は次のように要約できる。「朝の光を浴びたアルプスの美しさは、揺るぎない信仰と祖国への祈りを呼び起こす」
一方、ヴィスの詩ははるかに具体的だ。大まかに言い換えるとこうなるだろう。「ああ、祖国のために死ぬのはなんとすばらしいことか!私もそう死にたい。それ以上の望みはない」
英語
When the morning skies grow red
And over us their radiance shed
Thou, O Lord, appeareth in their light!
When the alps glow bright with splendor,
Pray to God, to Him surrender!
For you feel and understand
That God dwelleth in this land.
That God, the Lord, dwelleth in this land.
ドイツ語
Trittst im Morgenrot daher,
Seh’ich dich im Strahlenmeer,
Dich, du Hocherhabener, Herrlicher!
Wenn der Alpenfirn sich rötet,
Betet, freie Schweizer, betet!
Eure fromme Seele ahnt
Eure fromme Seele ahnt
Gott im hehren Vaterland,
Gott, den Herrn, im hehren Vaterland.
フランス語
Sur nos monts, quand le soleil
Annonce un brillant réveil,
Et prédit d’un plus beau jour le retour,
Les beautés de la patrie
Parlent à l’âme attendrie;
Au ciel montent plus joyeux
Au ciel montent plus joyeux
Les accents d’un coeur pieux,
Les accents émus d’un coeur pieux.
イタリア語
Quando bionda aurora il mattin c’indora
l’alma mia t’adora re del ciel!
Quando l’alpe già rosseggia
a pregare allor t’atteggia;
in favor del patrio suol,
in favor del patrio suol,
cittadino Dio lo vuol,
cittadino Dio, si Dio lo vuol.
ロマンシュ語
En l’aurora la damaun ta salida il carstgaun,
spiert etern dominatur, Tutpussent!
Cur ch’ils munts straglischan sura,
ura liber Svizzer, ura.
Mia olma senta ferm,
Mia olma senta ferm Dieu en tschiel,
il bab etern, Dieu en tschiel, il bab etern.
この2曲が、国際情勢に応じて使い分けられていた。幾度となく決断を求められた政府は1961年になってようやく、暫定的に「スイスの賛歌」を国歌に指定した。この暫定措置は20年間続いたが、ついに1981年4月1日、同歌がスイスの正式な国歌となった。
決断の決め手となったのは、当時の平和主義的な風潮ではなく、純粋に音楽的な問題だった。
スイスだけでなくほかの多くの国でもそうだったのだが、「Rufst du, mein Vaterland?」は英国国歌「国王陛下万歳(God Save the King)」のメロディーで歌われていた(リヒテンシュタインでは現在もそうしている)。そのため、国際的なスポーツイベントで気まずい状況を招いていた。
変更の試み
年配世代のなかには、いまだにこの決定に納得していない人もいる。しかし、現在の国歌に不満を抱いているのは「Rufst du, mein Vaterland?」を懐かしむ人々だけではない。
2004年、当時社会民主党(SP/PS)議員だったマルグレット・キーナー・ネレン氏が国歌の近代化を求める動議を提出した。同氏は今の国歌は国粋主義的で複雑かつ大げさで、女性や外国人に敵対的だと主張した(ほかの批評家は「国歌というより聖書の天気予報のようだ」と評した)。しかし議会の強い反対により、動議は撤回された。
それから約10年後、スイス公益協会がふたたび動いた。国民に浸透もしていないし、もはや国家の価値観も反映していないとして、代わりの歌詞を募るコンテストを開いた。
同協会のジャン・ダニエル・ゲルバー会長は当時、スイスインフォに対し「歌詞を暗記し、情熱と喜びをもって歌っている他国の人々」を見れば、スイスに問題があることがわかると語った。
偶然にも、2015年9月に発表されたコンテスト優勝作品の作者もヴィドマーという名前だった。ヴェルナー・ヴィドマー氏だ。同氏は宗教的な表現を現代の憲法的価値観に置き換え、多様性のなかでの統一を盛り込んだ。
▼4つの公用語を統合したヴェルナー・ヴィドマー氏のバージョン
歌詞が決まり、モーリッツ・ロイエンベルガー氏など元政府メンバーも含む250名もの著名人の支持を得た公益協会は、最後にもうひとつ小さなハードルを越えるだけでよかった。新しい国歌を全国に普及し、国民に受け入れてもらうことだ。
だが、結果はさんざんだった。2300の自治体に対して建国記念日に新しい国歌を用いるよう呼びかけたが、応じたのは20ほどの自治体だけだった。
次の変更の試み、そしておそらくさらに何度かの試みを経るまで、「スイスの賛歌」は国歌であり続けるだろう。結局のところ、現代的でないとはいえ、この歌はスイスとその政治をよく反映しているといえる。テンポが遅く、議会で成立する多くの法律と同じで、集団的な不満を最小限に抑える解決策を表現しているからだ。
編集:Daniele Mariani、英語からの翻訳:長谷川圭、校正:大野瑠衣子
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